2011/07/31

掃除など

本棚まわりがうるさいままだけど、うるさい柄の布を被せてごまかす。

あそこは、部屋はぐちゃぐちゃだけどどこになにがあるか完璧に把握している片付けられない人々と同じように、無秩序と見せかけて秩序のある、私だけがその秩序を理解している、ユウトピアと成り果てている。
韻を踏む。る。
本当は誰が見ても整理された本棚が美しいと知っているけど、どうやって儲けているのか皆目分からない古書店(古本屋というにはあまりに年期の入った)の大きささえ揃わずにうずたかく積み上げられて日に焼けた本の色やにおいが好きな私としては、相反する美意識に立ち往生してしまう。
あんまり焼けてほしくない本は奥にしまって布を被せて、よく読む本は手前に、文庫は著者別、とか、写真集と雑誌は未整理だけど、一応自分なりの分類法というかルールでもって本棚に入れたり本棚の上に並べたり箪笥の上に並べたりベッド下に収納したり(エロ本ではない)クローゼットに収納したり(ドリトル先生全巻セットが幅をきかしている)してる。
でもそのルールが一般化してないから無秩序に見えるし、他人からはきったねぇ!と言われる所以なんだな。
夏にL'Arc-en-Cielを聞きたくならないのと同じ。自分ルール。

2011/07/11

だめだなぁ。

最近のメディアがわからない。
ツイッタもフェイスブックも、このブログとかいうものも。
mixiだけがんばってついていってる。

ツイッタ以外はアカウントを持っているし、実はLiveJournalのアカウントもあるけど。

こんなに沢山メディアがあって、しかもそれに翻弄されたがっているって、リテラシが足りてないのに、私、どういうこと。

10代の頃の方が明らかにインターネットを警戒していたし、匿名性にとても拘っていたというか、いや、匿名性ではなくて偽名を使うこと、あるいはいくつかのキャラクタを使い分けることにわりと時間を割いてたのになぁ。今はむしろそれとは逆に、表面を覆うひとつのキャラクタをだらだらと公開している。
インターネットは電子の海だから思いがけない出会いに溢れているけどあーもう文章を考えるのが難しくなってきた眠いから。

近況。
私はkimidoriという色に所属することになった。少なくとも来月は。

2010/11/13

自己の存在?

まったく同じふたりが出会った


A「あなたはだあれ?」
B「・・・」
A「あなたはだあれ?」
B「わたしはわたしよ」
A「じゃあ同じね わたしもあなたよ」
B「? あなたはあなたよ」
A「わたしはあなたよ」
B「どういうこと」
A「あなたはあなただけど、わたしもあなたなの」
B「・・・わからない」
A「わたしとあなたはあなたなの」
B「なぜ? あなたはわたしじゃない」
A「わたしはあなたよ」
B「あなたはあなたよ」
A「わたしはあなたなの」
B「・・・わたしはあなたじゃない」
A「そうね でもわたしはあなたなんだわ」



という絵コンテ未満が出てきた。
今よりもっと感覚でものを考えていた時代の汚物か。排泄したものという意味で。