男も書くらしい日記とかいうものを
というような現代語訳がよく付いていますが、初めて土佐日記を習った高校時代から今まで、ぼんやり不思議に思っていることがあります。
この時代、男性しか日記を付けない、というような話で、だからこそ紀貫之は冒頭にこの一文を入れてるんですね、みたいなことを古典の先生に教わったように記憶しています。
が、いざ現代語訳を見てみると、男“も”になってるんですね。
“も”?
なんで?
古語辞典を開いて調べるのは明日も朝早いのでしませんが、現代語訳でも“も”と訳しているということは、この“も”は現在使われている“も”と同じ意味だと捉えていいんだと思うんですね。
だとすると、男“も”する日記は、女もするってことになりませんか、ね…?
ということを何年も思い出しては疑問に思っています。
明日辞書でも調べますかね。
ところで、毎日ブログ書きますと豪語しておいて翌日から実践できませんでした。
案の定です。
帰りが遅いと日付跨いじゃいますね。