2009/11/06

男もすなる日記といふものを

男も書くらしい日記とかいうものを

というような現代語訳がよく付いていますが、初めて土佐日記を習った高校時代から今まで、ぼんやり不思議に思っていることがあります。
この時代、男性しか日記を付けない、というような話で、だからこそ紀貫之は冒頭にこの一文を入れてるんですね、みたいなことを古典の先生に教わったように記憶しています。
が、いざ現代語訳を見てみると、男“も”になってるんですね。

“も”?

なんで?


古語辞典を開いて調べるのは明日も朝早いのでしませんが、現代語訳でも“も”と訳しているということは、この“も”は現在使われている“も”と同じ意味だと捉えていいんだと思うんですね。
だとすると、男“も”する日記は、女もするってことになりませんか、ね…?

ということを何年も思い出しては疑問に思っています。
明日辞書でも調べますかね。


ところで、毎日ブログ書きますと豪語しておいて翌日から実践できませんでした。
案の定です。
帰りが遅いと日付跨いじゃいますね。



2 件のコメント:

  1. 土佐日記は、貫之が女性に仮託して書いたものなんです。だから、女性の立場から見て、「男性もしている日記というものを、女の私も書いてみます」という冒頭表現になります。
    そして貫之が一番この日記の中で言いたかったことは、赴任先で幼い自分の娘を亡くした悲しみなんです。そういう悲しみを書くには、当時男の立場では無理で、やはり女性として書かざるを得なかったという前提があったのでした。

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  2. >匿名さん
    匿名さんの仰っていることは授業でも習ったので分かっているつもりなんですが、私の疑問は、「男性もしている日記」と現代語訳するということは、当時の女性も日記を書いていたのかな、ということなんです。
    男性しか日記を書かない、と習ったように記憶しているのでこの疑問が生じたわけです。
    コメントありがとうございました。

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